2014年04月09日

ナランチャ・ギルガのスタンド、エアロスミスの元ネタ アメリカのハード・ロック・バンド エアロスミス (Aerosmith)

ブローノ・ブチャラティの部下の一人ナランチャ・ギルガのスタンド「エアロスミス」の元ネタは、アメリカのハード・ロック・バンド、エアロスミス (Aerosmith)だ。

アメリカのニューハンプシャー州ボストン郊外の小さな町スナッピーのアイスクリーム屋でギターのジョー・ペリーがアルバイトをしている所に、ヴォーカルのスティーヴン・タイラーが常連として通っていて会話をかわすようになったのがエアロスミスの始まりである。当時すでにチェーン・リアクションというバンドで活動していたスティーヴンは、ザ・ジャム・バンドというバンドを組んでいたジョー・ペリーとトム・ハミルトンに新しいバンドを組まないかともちかけ、そこにスティーヴンの友人のドラマー、ジョーイ・クレイマーとギタリストのレイモンド・タバーノを迎えるが、レイモンドはすぐに脱退し、新たにブラッド・ウィットフォードを迎えて活動をスタートさせる。そしてボストンのアパートで5人で共同生活しながらデビューの機会をうかがっていた。そしてこの時にバンド名を空気を意味する「エアロ」と職人を意味する「スミス」をくっつけた造語エアロスミスとする。一瞬にして空気を変えるようなバンドにという願いをこめてつけられたのだ。

1973年に『野獣生誕 (Aerosmith)』でデビューを飾った彼らであったが、ローリング・ストーンズの単なるコピー・バンドだと酷評され、しばらく芽が出ない時期が続く。この1stアルバムは当時は日本で発売されなかったほど扱いはひどいものだった。しかしこの作品には「ドリーム・オン(Dream On)」やのちにガンズ・アンド・ローゼズがカヴァーする「ママ・キン(Mama Kin)」が収録されているのを聞き逃してはいけない。

翌1974年には2ndアルバム『飛べ!エアロスミス(Get Your Wings)』を発売するも売り上げは伸びなかった。そして地道なライヴ活動の末、徐々に人気が出始める。そして75年に『闇夜のヘヴィ・ロック(Toys in the Attic)』を発表し、初のプラチナ・アルバムを獲得する。この作品に収録の「ウォーク・ディス・ウェイ(Walk This Way)」はのちにヒップ・ホップ・グループ、ランDMCにカヴァーされ、エアロスミスを助けることになる彼らの代表曲である。そして次の名盤『ロックス(Rocks)』によってエアロスミスはピークを迎える。

しかし5作目の『ドロー・ザ・ライン(Draw the Line)』の発表あたりからバンド内はギクシャクしだす。そして79年『ナイト・イン・ザ・ラッツ(Night in the Ruts)』発表後、ジョー・ペリー、ブラッド・ウィットフォードが脱退し、スティーヴン・タイラーはドラッグにはまり、バンドはどん底の状態になる。

そして先ほども触れたランDMCがカヴァーした「ウォーク・ディス・ウェイ」が全米4位の大ヒットを記録し、徐々に彼らの人気も復活してきて発表されたのが『パーマネント・ヴァケイション (Permanent Vacation)』である。そして今回紹介するのが復帰第2弾の『パンプ(Pump)』である。

このアルバムは全米チャート最高5位を記録し、110週にわたってチャート・インし続け、年間チャートも4位というベスト・セラー作品である。シングルも3「エレヴェイター・ラヴ(Going Down / Love in an Elevator)、10「ホワット・イット・テイクス(What It Takes)」、5「ジェイニーズ・ガット・ア・ガン(Water Song / Janie's Got a Gun)」の3曲がトップ10の大ヒットに。そして「ジェイニーズ・ガット・ア・ガン」ではグラミー賞も受賞している。個人的には彼らの中で一番聴いたアルバムである。「エレヴェイター・ラヴ」のジョー・ペリーのギター・ソロはほれぼれする。この曲のPVは当時よく見たのを覚えている。「ホワット・イット・テイクス」はスケールの大きな名曲である。他の曲も名曲ぞろいでアルバムとして非常にまとまっている名盤だ。褒めすぎなのではとの批判が聞こえてきそうだが、そう言わせてしまうだけの魅力がこの作品には詰まっている。

エアロスミスは次作の『ゲット・ア・グリップ(Get a Grip)』までで十分だと思う。それ以降はいまいち好きになれないのが正直なところだ。 


ラベル:エアロスミス
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