2014年04月23日

ティッツァーノのスタンド、トーキング・ヘッドの元ネタ アメリカのパンク・バンド トーキング・ヘッズ (Talking Heads)

ギャング団「パッショーネ」のボス、ディアボロ直属親衛隊の一人ティッツァーノのスタンド「トーキング・ヘッド」の元ネタは、アメリカのパンク、ニュー・ウェイヴ・バンド、トーキング・ヘッズ(Talking Heads)だ。

トーキング・ヘッズは、ヴォーカル兼ギターのデヴィッド・バーンが同じロードアイランドデザイン学校に通っていたドラマーのクリス・フランツでジ・アーティスティックというバンドを結成したことから始まる。その後彼らは、クラスメイトだったベーシストのティナ・ウェイマスとトリオを組む。この段階でバンド名をトーキング・ヘッズとする。ちなみにティナはのちにクリスと結婚する。

そしてデヴィッドが単身ニューヨークに移り、その後ティナとクリスもニューヨークにやって来ると、ようやくトーキングヘッズは本格的に始動する。そしてニューヨーク・パンクの聖地のようなクラブCBGBでライヴをやるまでなる。1977年にジョナサン・リッチマンと結成したザ・モダン・ラヴァーズでの活動歴のあるキーボード奏者のジェリー・ハリスンを加え、ワーナー傘下のサイアー・レコードと契約し、同年9月デビュー・アルバム『サイコ・キラー'77(Talking Heads:77)』を発表する。業界では評価は高かったが商業的な結果は伴わなかった。

翌78年には元ロキシー・ミュージックのブライアン・イーノをプロデューサーに迎え、2ndアルバム『モア・ソングス(More Songs About Buildings and Food)』を発表する。そしてヒット・シングル「テイク・ミー・トゥ・ザ・リヴァー(Take Me to the River)」ではソウル・シンガー、アル・グリーンの曲をカヴァーし、エレクトリック・サウンドとソウル・ミュージックを物の見事に融合させている。ソウルミュージックへの関心は、さらにそのルーツであるアフリカの音楽やその他のスタイルへと彼らを向かわせたのだ。彼らというか主にデヴィッドだが。

翌79年に発表した『フィア・オブ・ミュージック(Fear Of Music)』ではアフリカン・ファンクをとりいれている。そして1980年に今回紹介する、彼らの最高傑作との呼び声が高い『リメイン・イン・ライト(Remain In Light)』を発表する。この作品を最後にブライアン・イーノはプロデューサーを降りる。その事も考えると、この作品が彼らが目指した到達点だったのかもしれない。

この作品には彼ら以外に黒人ミュージシャンをバックに起用しており、ロック・ミュージックのアフリカへの接近が前作以上に進んでいる。1曲目の「ヒート・ゴーズ・オン(ボーン・アンダー・パンチズ) - Born Under Punches (The Heat Goes on)」は延々とカッティング・ギターのフレーズが続き、そこにゲームの信号音のようなものが絡み、なかなか癖になる曲である。2曲目も同じリズムが執拗に続く曲で、1曲目よりもダンサブルだ。3曲目はコーラス部分にどこかアフリカを感じる。4曲目はコーラス部分以外はほとんどデヴィッドの語りのようなヴォーカルが続く、当時としては斬新だったのではと思わせる曲である。5曲目はこのアルバムで1番ファンクっぽいが彼ららしさ満載だ。6曲目もこれまたデヴィッドの抑揚のないヴォーカルが延々と続く。7、8はちょっと暗めな感じの曲が続く。特にラストの8曲目「オーヴァーロード(The Overload)」はスロー・テンポで、しかも暗い感じでさらに6分もあるというから辛く感じる人も多いのでは。個人的にはこういう曲こそリピートして聴きたくなる。


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