2014年04月24日

カルネのスタンド、ノトーリアス・B・I・Gの元ネタ アメリカの巨漢ラッパー ノトーリアス・B.I.G.(The Notorious B.I.G.)

ギャング団「パッショーネ」のボス、ディアボロの親衛隊の一人カルネのスタンド「ノトーリアス・B・I・G」の元ネタは、アメリカの巨漢ラッパー、ノトーリアス・B.I.G.(The Notorious B.I.G.)だ。

ノトーリアス・B.I.G.は1972年にニューヨークのブルックリンに生まれる。80年代のブルックリンといえば非常に治安が悪く、犯罪や麻薬が蔓延していた場所であった。その例にもれず、彼もそういう世界に入っていくことになる。17歳の時には武器の不法所持で逮捕され、5ヶ月の執行猶予判決を下される。それで反省をするわけがなく、さらに深く進んでいき、ドラッグ・ディーラーになるために高校を中退する。この頃からストリートでラップをするようになり、その方面でも注目されるようになる。

そして彼のデモ・テープを聞いたビッグ・ダディ・ケインのDJミスター・シーが、ヒップ・ホップ雑誌「The Source」に紹介したことにより、新人紹介コーナーに登場することに。そしてそれを機にパフ・ダディという名前でも有名なショーン・コムズに見出される。

その後いくつかの客演を経て、サントラの『Who's the Man?』にB.I.G.名義で「Party And Bullshit」を発表する。そして1994年にショーン・コムズ、イージー・モー・ビー、DJプレミア、ロード・フィネスなどのサポートを受けて、デビュー・アルバム『レディ・トゥ・ダイ(Ready To Die)』を発表する。この作品は当時の評価も高かったが、現在ではヒップホップの金字塔のような存在である。ぜひこの作品を紹介したかったのだが、なぜか国内盤、輸入盤ともに現在は入手しにくい状態なので断念した次第である。

このデビューアルバムの少し前にマンハッタン出身のラッパー、2パックと出会い交友を深めるが、2パックが1994年の11月に銃撃された際にノトーリアス・B.I.G.のことを疑ったことにより、彼らの仲は最悪の状態になる。その後1996年6月2パックは友人のマイク・タイソンの試合の観戦後、銃撃され死亡する。そしてノトーリアス・B.I.G.は1997年3月にヒップホップ雑誌主催のパーティーからの帰りに銃撃され死亡する。何か報復の連鎖のようだ。実際2パックの死亡時はノトーリアス・B.I.G.の支持ではという噂もあがった。結局いまだに事件は解決していない。ビッグが所属するバッド・ボーイ、2パックが所属するデス・ロウ・レコードという、当時の二大ヒップ・ホップ・レーベルの対立構図も関係しているのだろうか。ビッグが享年24歳、2パックが享年25歳というあまりにも早すぎる死だが、ロック・ミュージシャンでは考えられない最期だ。

そして今回挙げているのが、彼が生前に録音を済ませ、死後発表された2枚組大作『ライフ・アフター・デス(Life After Death)』である。売り上げは1000万枚以上というビッグ・ヒットを記録している。この売り上げが示すとおり、「前作の評価に負けないぐらいの内容になっている」というのがヒップ・ホップ・リスナーの見解だろうか。しかし彼の生き様のようにちょっと激しめの曲が欲しいところだ。結構メロディアスな曲もチラホラと見受けられる。ロック・リスナーからしたらちょっと退屈に感じるかもしれない。ディスク1の4、7、10、ディスク2の3、6あたりは悪くはないと思うが、個人的にはこのブログでも紹介したウータン・クランのような激しい感じのヒップ・ホップのほうが聴いていて気持ちがいい。ちょっとロック・リスナーには良さがいまいち解らないというのが正直な意見だ。

2009年にはアメリカで彼の生涯を映画にした作品『ノトーリアスB.I.G./NOTORIOUS』が公開されたが、日本では未公開に終わっている。これぐらいの評価が日本では普通ではないだろうか。おそらく映画会社の人もそのような判断を下したのでは。


この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。