2014年07月06日

ディエゴ・ブランドーのスタンド、スケアリー・モンスターズの元ネタ イギリスのロック・ミュージシャン デヴィッド・ボウイのアルバム『スケアリー・モンスターズ』

ディエゴ・ブランドーのスタンドで、元はフェルディナンド博士の持っていた「スケアリー・モンスターズ」の元ネタは、イギリスのロック・ミュージシャン、デヴィッド・ボウイ(David Bowie)のアルバム『スケアリー・モンスターズ(Scary Monsters) 』。

デヴィッド・ボウイ(本名デヴィッド・ロバート・ジョーンズ)は、1947年1月にイギリスはロンドンのブリクストンで生まれて12歳からアルト・サックスを吹き始め、ジョージ&ザ・ドラゴンズというジャズ・バンドで演奏するようになる。そして美術系の高校を中退して広告代理店などで働いた後、音楽活動に専念する。ちなみに高校で彼に大きな影響を与えたオーエン・フランプトンという教師と、その息子ピーター・フランプトンと出会っている。ピーターフランプトンは、のちに『フランプトン・カムズ・アライヴ!』というアルバムで1000万枚を売り上げる大ヒットを飛ばしており、ボウイともステージで共演している。

音楽活動に専念したボウイは、フッカー・ブラザーズ、キング・ビーズと経て名前を改めたバンド、デヴィッド・ジョーンズ・アンド・ザ・キング・ビーズとして、シングル「リザ・ジェーン」を1964年に発表する。しかし全く売れず、マニッシュ・ボーイズ、そしてディヴィー・ジョーンズ・アンド・ザ・ロウアー・サードというバンドを結成する。66年には本名をやめてデヴィッド・ボウイと名乗るようになる。これには、当時アメリカから登場したモンキーズのデイビー・ジョーンズと間違えられるのを避けるためである。そして1967年にアルバム『デヴィッド・ボウイ』でソロとしてデビューする。その後、前衛的なパフォーマー、リンゼイ・ケンプの劇団でパント・マイムを習得する。

そして1968年に公開されたスタンリー・キューブリック監督の名作『2001年宇宙の旅』に刺激を受けて、シングル「スペイス・オディティ」を1969年の7月11日に発売。7月16日には、人類が初めて月面着陸に成功したアポロ11号の発射が行なわれ、その特番などで同曲が使われて全英5位、全米15位を記録するヒットに。そのヒットにともない制作されたのが2ndアルバムの『スペイス・オディティ(Space Oddity)』で、こちらも全英17位、全米16位のヒットに。しかしこのヒットの後、彼が尊敬するボブ・ディランのようなフォーク・スタイルで歌ったりと迷走の時期を送る。

そして1971年には、まるで1940年代のハリウッド女優を思わせるような女装姿のジャケットで世間の度肝を抜いた『世界を売った男(The Man Who Sold the World)』を発表する。このアルバムから盟友ミック・ロンソンがギターに加わる。この『世界を売った男』のタイトル・トラックは、あのニルヴァーナが『MTV・アンプラグド・ニューヨーク』で素晴らしいカヴァーを披露している。

その後RCAに移籍した彼は、71年に『ハンキー・ドリー(Hunky Dory)』を発表して全英では3位を記録するヒットになるが、アメリカでは93位と惨敗に終わる。そして翌72年に彼の最高傑作との呼び声が高い『ジギー・スターダスト(The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars)』を発表する。このアルバムも、全英では5位を記録するが、全米では75位と結果を残せずにいた。この作品は、地球を救うためにやってきた異星人ロックン・ローラー、ジギー・スターダストの物語が展開されるコンセプト・アルバムである。ツアーでは、日本が世界に誇るファッション・デザイナー、山本寛斎が手がけた強烈な衣装に身をつつみ、髪も赤く染め、メイクもばっちりほどこしたスタイルで完全に架空のロック・スター、ジギー・スターダストになりきっていた。

その後のツアーで訪れたアメリカで刺激を受けて制作したアルバム『アラジン・セイン(Aladdin Sane)』で全英1位を獲得し、全米でも17位とヒットする。その後、カヴァー・アルバム『ピンナップス』を発売。その後74年に発表した『ダイアモンドの犬(Diamond Dogs)』が、全英1位、全米7位に。75年には、あのビートルズのジョン・レノンとの共演で話題を呼んだファンク・ナンバー「フェイム」がディスコから火が付き、彼に初の全米1位をもたらす。そして同曲収録の『ヤング・アメリカン(Young Americans)』もヒットし、その年にはアメリカに移り住み、グラム・ロックのイメージからの脱却に成功する。さらにアメリカ色を強めたのが翌76年に発表された『ステイション・トゥ・ステイション(Station to Station)』で、チャートでも全英5位、全米3位で、その結果が現れている。

その後ドイツのベルリンへ移り住み、77年からは元ロキシー・ミュージックのブライアン・イーノと作り上げた、ベルリン3部作と呼ばれる『ロウ(Low)』、『ヒーローズ(Heroes)』、『ロジャー(Lodger)』という商業的には失敗に終わる名作群を発表する。そして1980年に発表したのが今回の元ネタになっているアルバム『スケアリー・モンスターズ(Scary Monsters)』である。チャートでは全英1位、全米12位を記録し、商業的には前作を上回る結果を残す。

いきなりの日本語ナレーションが、一瞬買った商品が間違っていたのかと驚いたぐらいインパクト大だ。最初この1曲目をボウイ自身が日本語で歌おうとして断念した結果このようになったらしい。1曲目の衝撃から一転普通になる2曲目を経て、キング・クリムゾンのロバート・フリップのギターが炸裂するアップ・テンポなタイトル・トラック3「スケアリー・モンスターズ」。全英1位を獲得した、どこか哀愁のある浮遊感がたまらない4「アッシュズ・トゥ・アッシュズ(Ashes to Ashes)」で、過去の自分を葬り去っている感じがする。7分近い大作の6曲目「ティーンエイジ・ワイルドライフ(Teenage Wildlife)」は、冒頭の特徴あるギターのイントロが頻発する、あまり抑揚の無い曲調だがボウイのヴォーカルが遺憾なく発揮された名曲。その後はちょっと落ちる曲が続き、1曲目の繰り返し10「イッツ・ノー・ゲーム(パート2)」で終わる。1曲目の強烈なインパクトを残した日本語ナレーションの部分をボウイが歌い、非常に平凡な曲に仕上がってしまっている。全体を通しては、なかなかの名盤と評価してもいいだろう。


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