2014年07月17日

死体で発見されたレース参加者マーク・ベッカーの元ネタ アメリカのバンド スティーリー・ダンのメンバー ウォルター・ベッカー

今回から3回小ネタを。スティール・ボール・ランの単行本3巻の「1st.STAGE 優勝失格」に登場するレース参加者の3人の死体の1人、マーク・ベッカーの元ネタは、アメリカのバンド、スティーリー・ダン(Steely Dan)のメンバー、ウォルター・ベッカー。

スティーリー・ダンは、第2部のエイジャの赤石、第3部のスティーリー・ダンに続いて3回目の登場だが、ここでも軽く彼らについて触れておこう。スティーリー・ダンの中心事物のキーボード兼ヴォーカルのドナルド・フェイゲンとベース兼ヴォーカルのウォルター・ベッカーは、ニューヨークの大学在学中に知り合って共同で作曲をはじめ、卒業後は作曲家として活動していこうと考えるが、仕事にありつけずジェイ・&アメリカンズというバンドのツアー・メンバーとして活動することに。そこで知り合ったギターのデニー・ダイアス、さらにギターのジェフ・バクスター、ドラムのジム・ホッダー、ヴォーカルのデイヴィッド・パーマーという7人で1971年に結成されたのがスティーリー・ダンである。

そして翌72年にデビュー・アルバム『キャント・バイ・ア・スリル(Can't Buy A Thrill)』を発表する。ここからシングル「ドゥ・イット・アゲイン(Do It Again)」が全米6位を、「リーリン・イン・ジ・イヤーズ(Reelin' in the Years)」が11位を記録する大ヒットに。それも手伝ってアルバムも全米17位を記録し、プラチナ・ディスクを獲得する。順調なスタートをきったように見えたスティーリーダンであったが、ヴォーカルのデイヴィッド・パーマーが脱退してしまい、以降はドナルド・フェイゲンがリード・ヴォーカルを務めることになる。

翌73年に彼らの中で最もロック色の強い2ndアルバム『エクスタシー(Countdown To Ecstasy)』を発売するがシングルヒットが1曲も生まれず、商業的には前作を下回ってしまう。しかしドナルド・フェイゲンは、スティーリー・ダンの中では最も気に入っているアルバムらしい。

そして1974年に発表したのが、今回紹介する3rdアルバム『プレッツェル・ロジック(Pretzel Logic)』である。このアルバムには、のちにTOTOで活躍するドラムのジェフ・ポーカロとキーボードのデイヴィッド・ペイチや、イーグルスに加入するベースのティモシー・B・シュミットなど数多くのスタジオ・ミュージシャンが参加している。ここでは1stアルバムのころのような原点に戻ったことが功を奏して、シングル「リキの電話番号(Rikki Don't Lose That Number)」が全米4位を記録する大ヒットに。アルバムも8位を記録し、デビュー・アルバムを上回る成功を手にする。ちなみに「リキの電話番号」のイントロは、ファンキー・ジャズ・ピアニスト、ホレス・シルバーの代表曲「ソング・フォー・マイ・ファーザー」のイントロと全く同じだ。ジャズ好きの彼らは意識して盗作したのか、聞き覚えがあったからソックリになってしまったのか、どっちなんだろう。しかし、元々ソングライター志望だったドナルドとウォルターの2人と他のメンバーとは折り合いが付かず、バンドは崩壊の危機を迎え、このアルバムのツアーを最後にライヴ活動を休止し、スタジオのみでヒット・アルバムを作れることを証明する。

この作品では彼ら2人のジャズ志向が如実に現れたタイトルの曲がある。6「パーカーズ・バンド(Parker's Band)」、10「チャーリー・フリーク(Charlie Freak)」の2曲は、もちろんビ・バップの創始者の1人のアルト・サックスのチャーリー・パーカーのことだ。そして5「イースト・セントルイス・トゥードゥル・オー(East St. Louis Toodle-Oo)」は、ジャズ界を代表するバンド・リーダー、デューク・エリントンのカバーだ。他にもカントリー調のものがあったり、ボブ・ディランのようなフォーク・ロックがあったり、ウェスト・コースト・ロック風があったりと非常にバラエティに富んでいて、いつ聴いても、何回聴いても飽きない。特にギターの音色が非常にブルージーでカッコいい。昔はAORと思っておとなしい音楽を想像して敬遠していたが、このスティーリー・ダンには熱いものを感じる。今までスティーリー・ダンを聞いてこなかった人には意外とこの辺りを聞くといいかもしれない。


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