2014年07月23日

マウンテン・ティムの元ネタ アメリカのバンド オールマン・ブラザーズ・バンドの楽曲「マウンテン・ジャム」

伝説のカウボーイ、マウンテン・ティムの元ネタは、アメリカのサザン・ロック・バンド、オールマン・ブラザーズ・バンド(The Allman Brothers Band)の33分にも及ぶインストゥルメンタル・ナンバー「マウンテン・ジャム(Mountain Jam)」。

オールマン・ブラザーズ・バンドは、バンド名のとおりデュアンとグレッグというオールマン兄弟が中心になって1969年に結成されたバンドである。今でこそスライド・ギターの名手として認知されているデュアン・オールマンだが、意外なことに1つ年下の弟グレッグのほうがギターを弾き始めたのは早かったという。それが彼らが生まれたナッシュビルからフロリダに移り住んだ頃のことである。そして人種差別の激しかった時代(特にアメリカ南部)に白人の彼らが、地元のクラブに出演している黒人コーラス・グループのバックバンドに加入するというのは異例のことであった。当時彼らはまだ14、15歳だというから驚きだ。そんなブラック・ミュージックの体験がデュアンを特別なアーティストへと成長させたのだ。

そして63年にオールマン・ジョイズというバンドを結成し、ツアーも行い、シングルも発売するがうまくいかず、その後アワー・グラスというバンドでロサンゼルスで勝負に出ることに。リバティ・レコードと契約し、アルバムも2枚発表するが、南部出身のアイドル・バンドとして売りたかった会社と折り合いが付かず、グレッグ以外のメンバーはフロリダに帰ってしまう。

フロリダに帰ったデュアンはアラバマ州マッスルショールズのフェイム・スタジオでセッション・ミュージシャンとしての道を歩み始める。そこでアレサ・フランクリン、ウィルソン・ピケットなど数多くのアーティストとのセッション経験が、独特のサザン・ソウルに磨きをかけたのだ。この当時の傑作に、スティーヴ・ミラー・バンドで傑作を発表した後、ソロとして活動していたボズ・スキャッグスのアメリカでのソロ・デビュー・アルバム『ボズ・スキャッグス&デュアン・オールマン』がある。発表は1969年でほぼオールマン・ブラザーズ・バンド結成前夜といったところだ。

しかしセッション・ミュージシャンとして満足するはずもないデュアンは、ロサンゼルスに残って活動していたグレッグをヴォーカル兼オルガン奏者として呼び寄せ、新たに知り合ったギターのディッキー・ベッツ、ベースのベリー・オークリー、ドラムのジェイ・ジョハンソンとブッチ・トラックスという、ツイン・リード・ギターにダブル・ドラムという特異な編成でバンドを組むことに。ここでようやくオールマン・ブラザーズ・バンドが誕生する。そして69年にデビュー・アルバム『オールマン・ブラザーズ・バンド』を発表する。しかしチャートは全米188位と、商業的には全く成功しなかった。

70年にはプロデューサーにトム・ダウドを迎えて2ndアルバム『アイドルワイルド・サウス(Idlewild South)』を発表し、全米38位と前作にくらべて大躍進する。この年、同じくトム・ダウドがプロデューサーを務めたエリック・クラプトンのバンド、デレク・アンド・ザ・ドミノスの名作『いとしのレイラ(Layla)』にデュアンが参加して、クラプトンとデュアンの壮絶なツイン・ギターを聞かせた。このきっかけは、トムがクラプトンを連れてオールマン・ブラザーズ・バンドのコンサートを見に行ったからである。そこでデュアンのギターの虜になったクラプトンが共演を持ちかけたのだ。

そんな彼らの本領が発揮され人気を決定的なものにしたのが、サンフランシスコのロックの聖地フィルモアでのコンサートであり、その模様を収めた71年発表の傑作ライヴ・アルバム『フィルモア・イースト・ライヴ(At Fillmore East)』である。このアルバムは全米13位を記録する大ヒットになり、順風満帆に見えた彼らは、バンド存続の危機を迎える。1971年10月29日、新作レコーディングの合間の休暇に故郷のジョージア州に戻っていたデュアンは、そこでバイク事故でこの世を去ってしまったのだ。24歳というあまりにも早すぎる天才の死にバンドもファンも打ちのめされたことだろう。

そんな逆境をのりこえて1972年の2月に発表されたのが、今回の元ネタになっている「マウンテン・ジャム」が収録された、レコードでいう2枚組大作『イート・ア・ピーチ(Eat a Peach)』である。デュアンが存命時に収録した「スタンド・バック」、「ブルー・スカイ」、「リトル・マーサ」に加えて、残る5人で収録した「時はもう無駄にできない」、「レ・ブレル・イン・Aマイナー」、「メリサ」、残る3曲「マウンテン・ジャム」、「ワン・ウェイ・アウト」、「トラブル・ノー・モア」がデュアン存命時のフィルモアでのライブ音源である。「マウンテン・ジャム」はレコード時代には分割して収録されており、CDで聴けて本当にラッキーだ。本作は全米で4位という大ヒットを記録する。「マウンテン・ジャム」は、ドノヴァンの「霧のマウンテン」という曲を元にしたジャム・セッションであり、ツイン・リードのギターももちろん素晴らしいが、グレッグのオルガンも最高だし、ドラムがまた凄まじい。当時メンバーが好んで聴いていたという、70年に発売されたマイルス・デイヴィスの『ビッチェズ・ブリュー』の影響も色濃く出ている。「マウンテン・ジャム」が聞きたくて購入したが、全編聞いて考えを改めさせられた。どこをとってもいい、捨て曲なしの名盤だった。


posted by captainhiltz at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ロック/ポップス その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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