2014年07月29日

ミセス・ロビンスンの愛馬エル・コンドル・パサの元ネタ サイモン&ガーファンクルがカバーした楽曲「コンドルは飛んで行く(El Condor Pasa)」

ジャイロ・ツェペリを狙う暗殺者ミセス・ロビンスンの愛馬「エル・コンドル・パサ」の元ネタは、サイモン&ガーファンクル(Simon & Garfunkel)がカバーした楽曲「コンドルは飛んで行く(El Condor Pasa)」。この曲のオリジナルは、18世紀にペルーに存在した伝承歌をもとにペルーの作曲者であり音楽学者のダニエル・アロミア・ロブレスが1913年に作曲したもので、前半のヤラビと呼ばれる抒情歌と、後半のワイノと呼ばれる舞踏曲の2つのパートからなっている。中南米の民族音楽フォルクローレを代表する曲だが、1965年にポール・サイモンがヨーロッパで活動中に出会ったのが、同じクラブに出演していたアルゼンチン出身のグループ、ロス・インカスが演奏するヴァージョンであった。そしてこのヴァージョンに歌詞をつけて歌って世界的に有名にしたのが、彼らサイモン&ガーファンクルである。

サイモン&ガーファンクルの説明は前回のミセス・ロビンスンの続きから。前作『ブックエンド』を1968年に発表した後アート・ガーファンクルは、映画の世界に興味を持ち始めて彼らのみぞは埋められないものへとなっていく。そして800時間という膨大な時間をかけて完成させたのが、彼らの最高傑作にして最後のアルバムとなってしまった『明日に架ける橋(Bridge over Troubled Water)』。1970年の1月に発表されたこのアルバムはアメリカにおいて、70年、71年、72年と3年連続で各年の最高売り上げを記録し、最終的には全世界で2500万枚を超えるビッグ・ヒットを記録する。チャートでも全米で10週にわたって1位を獲得し、全英では初登場から13週連続で1位を獲得し、その後も返り咲いたりして合計で33週も1位を記録するほどの大ヒットに。日本でもオリコン・チャートで7週連続1位を獲得している。71年のグラミー賞ではシングルとアルバムで合計6部門を受賞することに。

タイトル・トラックの1「明日に架ける橋」は、ポールがアートのために書いた曲で、よく皮肉まじりに「アートはただ歌っただけ」と言われたりするが、3番の歌詞を追加するように提案したり、メロディの部分もピアノのラリー・ネクテルと意見を出しあったという。しかしこの頃ポールとアートの仲は最悪で、レコーディングは一緒に行なわれておらず、最初ポールが演奏とコーラスをレコーディングし、別の日にアートのヴォーカルがレコーディングされたのだ。そんな状況で作られた曲だが、彼らが発表した曲の中でも最上位に位置するものではないだろうか。

全米チャートでは6週連続1位を獲得し、年間チャートでも1位に輝いている。全英でも3週連続1位を獲得し、日本のオリコンでも11位を記録している。この曲の素晴らしさを証明するように多くのアーティストがカバーしている。特に71年のグラミー賞でポールが歌を依頼したアレサ・フランクリンは、その授賞式の数週間後に彼女も自らレコーディングをおこなっている。この曲が完成したときにポールが思い描いたのがアレサの歌唱だったという。この曲のルーツであるゴスペル色の濃いカバー・ヴァージョンが聞けるのが、彼女のライヴ盤『Aretha Live at Fillmore West』である。そしてポールがあこがれたエルヴィスプレスリーのカバーしており、こちらは意外にそれほどアレンジしておらず、忠実にカバーしたという印象だ。ポール本人もソロのライヴ・アルバムで3度取りあげている。

そして今回の元ネタの2「コンドルは飛んで行く」の後にくるのが、シンプルで非常に明るく、気分が盛り上がる3「いとしのセシリア」。4「キープ・ザ・カスタマー・サティスファイド」は、ブギウギ調でバックのサウンドが迫力満点だ。次にくる、一転してボサノヴァ調の5「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌」は、ポールがアートとの決別を歌ったものだという。フランク・ロイド・ライトは、世界的に有名な建築家で、かつて建築を専攻していたアートがあこがれた人ということで、フランクをアートと見立てて歌詞を書いたのだろう。

そして6「ボクサー」は、彼らの曲の中で最も長い5分を超える大作で、歌詞は二の次でサウンドに重きが置かれた曲である。その証拠に意味のない「ライラ、ライラ・・・」という部分が多い。この曲をボブ・ディランは、1970年発売のアルバム『セルフポートレイト』でカバーしている。7「ベイビー・ドライバー」は軽快なロックンロール・ナンバーで、カーレースのエンジン音や実況放送が効果的に使われている。

オルガン・ソロが素晴らしい、しっとりとした8「ニューヨークの少年」もアートのことを歌っているようだ。9「手紙が欲しい」は、ポールが書いた唯一のレゲエ調の曲で、単純に考えれば恋人が手紙をくれないと嘆くラヴ・ソングだが、ここにもポールのアートに対する気持ちが反映されている。そして10「バイ・バイ・ラブ」は、彼らが手本とし、あこがれたエヴァリー・ブラザーズのカバー曲で、このアルバム唯一のライヴ音源である。そしてそのライヴの余韻がフェイド・アウトし、ラストの静かな「ソング・フォー・ジ・アスキング」につながっていく。まさに完璧なアルバムだ。

この後彼らは、1970年の7月に最後のコンサートをおこない、解散宣言もないまま自然消滅する。1964年から70年までと活動期間は短かったが、その間に彼らが発表した5枚のスタジオ・アルバムはどれも密度の濃い作品であった。


posted by captainhiltz at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | ロック/ポップス その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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