2014年08月12日

ホット・パンツの元ネタ アメリカのソウル・シンガー ジェイムズ・ブラウン(James Brown)の楽曲「ホット・パンツ(Hot Pants)」

スティール・ボールラン・のレース参加者ホット・パンツの元ネタは、アメリカのソウル・シンガーで「ファンクの帝王」と呼ばれたジェイムズ・ブラウン(James Brown)の楽曲「ホット・パンツ(Hot Pants)」。

1933年にアメリカはサウスカロライナ州バーンウェルに生まれたジェームス・ブラウン(以下JB)は、4歳の時に両親が離婚し父親に育てられる。しかし貧しい生活から抜け出すことが出来ず、父親は売春宿を営んでいた叔母にJBを託す。そして11歳の時、地元の劇場で開かれた「アマチュア・ナイト」に出場し初めて人前で歌うことの快感を覚える。その後クレモナ・トリオというバンドを結成し、アマチュア・ナイトで何度か優勝するほどの存在となる。しかしそれでも貧しい生活は続き、盗みを働くようになったJBは15歳の時、ついに車から物を盗もうとして捕まり、8年から16年という非常に厳しい判決を受ける。

そして刑務所で知り合った仲間とゴスペルを歌うカルテットを結成し、「ミュージック・ボックス」とあだ名され人気者となる。この頃刑務所の野球チームに入っていた彼は対外試合で生涯の友と呼ぶべきボビー・バードと知り合うことに。そして有罪宣告から3年が経った日、仮釈放のチャンスがおとずれる。しかしその条件がJBには厳しいものであった。なんとそれは刑務所があるトコアから出てはいけないというものであった。だから家族の待つ故郷へは帰れなかったのだ。

ボビー・バードの家族の助けを借り、トコアで住まいと職を得た彼は教会に通い始め、聖歌隊でゴスペルを歌うようになり、ボビーの妹とともにゴスペル・グループを結成する。その後ボビーが率いていたバンドに加入し、フレイムズと名乗るようになった彼らは本格的に音楽活動を始める。そしてこの頃デビュー曲となる「プリーズ・プリーズ・プリーズ(Please, Please, Please)」を書き上げる。この曲は当時フレイムズがやっていた、オリオールズの「Baby, Please Don't Go」が下敷きになっている。その後いろんなクラブや大学、高校などで腕を磨いていった彼らは、ツアーでトコアに訪れたリトル・リチャードのステージに無理やり上がりこみ、主役を食うほど観客を興奮させる。それがきっかけでリトル・リチャードのマネージャーと知り合い、彼がメイコンで経営しているクラブに出演するためにトコアを出ることに。そして彼のアドバイスでグループ名もフェイマス(有名な)・フレイムズと改める。

そしてリトル・リチャードが「トゥッティ・フルッティ(Tutti Frutti)」の大ヒットで勝手にカリフォルニアへ行ってしまった為に、その穴を埋める形でJBがリトル・リチャードとして数ステージをこなすことに。その後「プリーズ・プリーズ・プリーズ」をデモ・テープにとり、いろんなレコード会社をまわるが全て断られてしまう。しかしあるDJがラジオで放送するとリクエストが殺到するという現象が起きる。そして唯一関心を示したキング・レコードと即契約し、「プリーズ・プリーズ・プリーズ」のレコーディングを行なうことに。しかしレコーディングを見に来たキングの社長シド・ネイサンは、「こんな曲どこがいいんだ。プリーズを何回も言っているだけじゃないか。」と激怒して帰ってしまい、彼らをスカウトしたラルフ・バスをクビにしてしまう。なんとか説得してキング傘下のフェデラル・レーベルから発売することになったものの、会社からの後押しが無かったため彼らは地道に宣伝活動をすることに。その甲斐もあって最終的にチャートも5位を記録し、ミリオン・セラーになる。そしてグループ名もジェイムズ・ブラウン・アンド・ザ・フェイマス・フレイムと改める。

しかしその後が続かず、レコード会社から契約を打ち切られる寸前まで落ち込む。そんな不満とグループ内の嫉妬の問題でJB以外全員やめてトコアに帰っていったのだ。そして新たにグループを結成し、58年に起死回生に放ったシングル「トライ・ミー(Try Me)」が見事R&Bチャートで1位を獲得し、ポップ・チャートでも48位を記録するヒットに。

そんな彼らが世界的に知られるようになるのが、1963年1月に発売した『ライヴ・アット・ジ・アポロ(Live at the Apollo)』の大ヒットによってである。しかしこのアルバムもシド・ネイサンは反対し、危うく発売されないところであったが、JBが自費で製作したのだ。シドの予想に反して全米チャートで2位を記録し、1年以上チャートに入り続け、ロング・セラーとなったのだ。65年には「パパのニュー・バッグ(Papa's Got a Brand New Bag)」が全米チャートで初めてトップ10入りを果たす。その後公民権運動に力をそそいだり、レコード会社との裁判などあり、思ったような活動を出来ない期間を過ごす。

そしてポリドールに移籍して新たに再編したバンド、JB'sをバッグに発売したシングルが、今回の元ネタになっている「ホット・パンツ(Hot Pants)」である。この曲もポップチャートで15位を記録するヒットに。サウンド自体は非常に単純で同じようなカッティング・ギターが延々と続き、そこに強烈なサックスが入ったりするが、結局はJBの強烈なヴォーカルの魅力に尽きると思う。とにかくJBは「熱い」の一言だ。JBを聴くなら断然スタジオ・アルバムよりライヴ・アルバムだ。その代表が3枚の「アポロ・シアター」でのライヴの模様を収録した作品だ。

最後にホット・パンツの愛馬ゲッツ・アップの元ネタもJBが1970年に発表したシングル「セックス・マシーン(Get Up (I Feel Like Being Like A) Sex Machine)」である。このライヴ・アルバムの3曲目に収録されている。JBの曲の中で1番有名だ。特に日本では井筒和幸監督が2003年に撮った映画『ゲロッパ!』で取りあげているので、そこで初めてJBを知ったという人もいるかもしれない。


この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。