2014年08月20日

ジョニィ・ジョースターの兄ニコラスが乗っていた馬ブラックローズの元ネタ アイルランドのハード・ロック・バンド シン・リジィ(Thin Lizzy)のアルバム『ブラック・ローズ(Black Rose)』

ジョニィ・ジョースターの兄ニコラスが落馬事故死した時に乗っていた馬「ブラックローズ」の元ネタは、アイルランドのハード・ロック・バンド、シン・リジィ(Thin Lizzy)のアルバム『ブラック・ローズ(Black Rose)』。

シン・リジィの始まりは、アイルランドのダブリンで学生時代を過ごしていたフィル・ライノットがヴォーカルを務めていたBlack Eaglesという地元のローカルバンドである。そこにドラマーとしてブライアン・ダウニーが加わったことがのちにシン・リジィ結成へとつながっていく。しかしこのバンドは卒業と同時に解散し、フィルは同じくアイルランドで結成されたばかりのバンド、スキッド・ロウ(Skid Row)に加入し、一方ブライアンはSugar Shackというローカル・バンドで活動することに。ちなみにフィルはこのスキッド・ロウ時代にゲイリー・ムーアと出会い、さらにベースも習得している。スキッド・ロウに関して余談だが1986年にアメリカのニュージャージーで結成されたヘヴィ・メタル・バンドとは全く関係がない。ボン・ジョヴィの弟分的な彼らはL.A.メタル全盛期の80年代後半から90年代前半に大活躍したので知っている人もいるだろう。もしかしたらこちらのほうが有名だろうか。

話が逸れたがスキッド・ロウを脱退したフィルは再びブライアンを誘って新しいバンド、Orphanage(孤児院)を結成する。そこにかつてヴァン・モリソンが率いたバンド、ゼム(Them)でもプレイしたことのあるギタリスト、エリック・ベルが加わり、1970年にシン・リジィとして活動をスタートさせ、アイルランドのパーロフォン・レーベルと契約しシングルを発売するが思ったような成果は残せなかった。しかし地道なライヴ活動により地元アイルランドでは名声を手にした彼らはロンドンに渡り、デッカ・レコードと3年間の契約を交わすことに。

そして1971年4月にデビュー・アルバム『シン・リジィ』、翌72年には2ndアルバム『ブルー・オーファン(Shades of a Blue Orphanage)』を発表するも、いずれも内容に反して不発に終わる。そしてその年の暮れに発売したシングル「ウィスキー・イン・ザ・ジャー(Whiskey In The Jar)」が73年に入って全英で最高6位を記録し、一躍知られる存在となる。ちなみに母国アイルランドのチャートでは見事1位を獲得している。この曲はアイリッシュ・トラッド・ソングをうまくリメイクしたもので、フィルの愛国心がうかがい知れる名曲である。

しかしその後が続かず73年に3rdアルバム『西洋無頼(Vagabonds of the Western World)』を発表するがその年の大晦日に開かれたコンサートを最後にエリックが病気のために脱退し、フィルはこの時点で解散も視野に入れていたという。そして後任として迎えたのがスキッド・ロウで活動を共にしたゲイリー・ムーアであったが、数曲レコーディングしただけで脱退してしまう。

その後正式に後任のギタリストを探し始めたときに見つけたのが、グラスゴー出身のスコットランド人で当時弱冠17才のブライアン・ロバートソンで、そのすぐ後にかつてファスト・バックスというバンドでプレイしていたカリフォルニア生まれのスコット・ゴーハムが加入して、ツイン・ギターの4人編成で新たなスタートを切ることに。

そしてデッカとの契約満了にともないヴァーティゴに移籍する。そしてイギリスの野外ロック・フェス、レディング・フェスティバルに出演、4thアルバム『ナイト・ライフ(Night Life)』発売と、一躍注目されるバンドへと。75年には2年連続でレディングに出演し、5thアルバム『ファイティング(Fighting)』が英米ともにヒットし、イギリスではある種ヒーロー的な存在となる。

翌76年にはシン・リジィのツイン・ギターのスタイルが1つの完成形を見せた傑作『脱獄(Jailbreak)』を発表し、全世界で200万枚を超える大ヒットに。約半年後には早くも7thアルバム『サギ師ジョニー(Johnny The Fox)』を発表し、人気は浮動のものとなる。

そんな全盛期を迎えたかに見えた彼らであったが、ツアー中に左手を痛めて療養中だったブライアンが復帰して8thアルバム『バッド・レピュテイション(Bad Reputation)』に途中参加するが、結局78年8月に正式にバンドを脱退する。この年待望のライヴ・アルバム『ライヴ・アンド・デンジャラス(Live & Dangerous)』が発売され、日本でも人気が出つつあった時だけに、この脱退はバンドにとっては痛手であっただろう。

そしてツアーの時にブライアンの代役を務めたゲイリー・ムーアが今度は正式なメンバーとなり、1979年に発表されたのが、今回の元ネタになっている9thアルバム『ブラック・ローズ(Black Rose a Rock Legend)』である。しかしゲイリー・ムーアはこの1枚だけでまた脱退する。彼はソロ・デビュー・アルバム『バック・オン・ザ・ストリーツ(Back on The Streets)』をこの『ブラック・ローズ』発売の約半年前に発表している。このアルバムにはあの名曲「パリの散歩道」が収録されている。この曲はソチ・オリンピックで金メダルを獲得したあの羽生結弦がショート・プログラムで使用したことにより日本では一躍有名になった曲だ。

そして肝心の『ブラック・ローズ』はどうかというと、シン・リジィの代表作と言っていいレベルの傑作である。特に個人的に好きなのは1「ヤツらはデンジャラス(Do Anything You Want To)」と4「アリバイ(Waiting for an Alibi)」だ。どちらもノリノリの曲で、特に4はサビの部分が口ずさめるほどキャッチーだ。でもサウンドはしっかりしていて、さすがゲイリー・ムーアと思わせるギターソロが随所に出てくる。ちょっと鼻にかかったようなフィルのヴォーカルとゲイリーのどこか哀愁を帯びたギターが、彼らを唯一無二の存在にしている。明らかにアイルランドという土地柄が彼らの音楽に影響を与えている。前回紹介したU2といい、ヴァン・モリソンといいアイルランドのアーティストはみんな強烈な個性を持っており、容易に彼らの真似が出来ないのが特徴だ。

これほど素晴らしいバンドだったのに1986年の1月4日にフロント・マンのフィル・ライノットが亡くなり永遠に復活の希望が絶たれてしまったのが残念でならない。享年36歳あまりにも早すぎる死だ。以後何度か再結成をしているみたいだが、フィルのいないシン・リジィは、はっきり言ってシン・リジィではない。彼の存在そのものがシン・リジィだったのだ。機会があれば全アルバム解説したいと思うバンドだ。


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